やおよろずの森

私たちは、日本人が古来受け継いできた自然と人間が調和する社会を広め、後世に残すため、様々な活動を行う民間団体です。

夕刊フジ 国防女子の構え


⑤「安保法制」考える前に…見つめ直す“建国の理念”

 安全保障関連法案の議論を聞いていても、「何のために自衛隊を使うのか」という肝が見えないと感じることは多い。言葉を変えれば、自衛官は何のために「危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」るのか。国を守るため。確かに、そうだろう。であれば、国とは何なのか。
その答えを探すには、「日本を日本たらしめているもの」について考えることを避けては通れない。
日本という国は、そもそもどのようにして建国されたのか。『日本書紀』によれば、初代・神武天皇は、「建国の詔(みことのり)」で「掩八紘而為宇」(八紘をおおいて、宇となさん)、つまり、「天の下にひとつの家のような世界を創ろう」と述べている。「八紘為宇(はっこういう)」こそが日本の旗印なのだ。
神話などただの物語で歴史的事実ではないと言う人もいる。が、重視すべきは、それが歴史的事実かどうかということよりも、先人たちがそこに書かれている内容を価値あるものとして、大切に語り継いできたという事実であろう。
かくいう私も、この詔を元に造られた「八紘一宇(いちう)」という言葉を、長年「好戦的なナショナリストのスローガン」だと思い込んでいたひとりだ。しかし、「建国の詔」に触れ、本来の意味は全く逆であったことに衝撃を受けるとともに、自身の先入観と不勉強を恥じた。
日本人が、この建国の理念を忘れずにいたら、日本は天皇陛下を家長とする「ひとつの家」、国民はみな「兄弟」だ。兄弟がある日突然自らの意思に反して暴力的に連れ去られ、異国で苦しみ続けているのをだまって見過ごせる家族がいるだろうか。危険を冒してでも救い出したいと思うのが普通であろう。
さらにこの壮大な理想の対象は日本一国に留まらない。日本人は他者を蹴落としてでも自分さえ競争に勝てばいい、また他国を踏みにじってでも自国だけ潤えばいいという考え方を良しとしない。それが欧米列強の植民地支配とは対照的なアジア太平洋諸国での統治となって表れ、引いては現地の人々の熱烈な親日感情を育むことに繋がったのだろう。つまり日本は「弱肉強食」ではなく、「強者が弱者を助け共に生きる」、まさにひとつの家族のような世界を創ろうとしたのである。
今般の安保法制審議は、こうした日本の理念に叶ったものになっているか。「日米同盟を堅持する」ことを盲目的な大前提としていないか。そもそも「八紘為宇」を基調とする本来の日本の理念と米国の理念は同じなのか。そうした観点からも見つめ直してみる必要があるのではないだろうか。
*夕刊フジ 【国防女子の構え】より

④鹿の食害から森を救え

日本の国土面積の約3分の2を占める森林で今、ただならぬ変化が起きている。木々の樹皮が剥がされ、下草がなくなり、その結果保水力がなくなった表土が流され、ひどいところでは荒地化が進行しているのだ。
なんだか前回も読んだような…と思われたかもしれない。そう、沖縄県・尖閣諸島の魚釣島で、野生化したヤギによって引き起こされているのと同様なことが、実は全国の森でも起きている。
犯人は、鹿だ。環境省によると、北海道を除く鹿の数は、四半世紀前の約十倍である約261万頭(2011年度)。これが25年度には約500万頭に増加すると推定されている。
原因は、①狼の絶滅やハンターの減少によって天敵が減ったこと②里山に人の手が入らなくなったことによって鹿が里に誘引されたこと③温暖化に伴う降雪減で冬を越せる個体が増加したこと―などが考えられている。
筆者は長年、全国各地の森を歩いているが、ここへ来て、アセビ(=本州、四国、九州に分布する常緑性の低木)など、鹿の嫌いな下草だけが残った不自然な森林や、無残に白い幹をさらす木々を目の当たりにすることが実に多くなった。特に、苗木を植えてもすぐ食害に遭う林業者からは、「一刻も早い対策を」と悲鳴にも似た声が上がっている。
国も鳥獣保護法を一部改正するなど、多い腰を上げつつあるが、現状ではとても駆除のペースが追いついていない。
もう1つ大きな課題がある。駆除で撃った鹿の多くは山に埋められているのだ。「搬出するだけの労力がない」「首から上を 撃たないと美味しく頂けない」「流通に乗せる冷蔵・加工施設がない」など、さまざまな理由があるが、命をいただいた者としていかがなものか。
山を守るという差し迫った問題に優先的に対処するため、短期的にはやむを得ないかもしれない。ただ、感謝と畏敬の念を抱きつつ、山の恵みをいただく日本人であれば、根源的な自然への向き合い方を忘れるべきではないだろう。
そのためにも、こうした山の現実を国民が共有し、官民上げての対策を進めたいと思うのだ。ハンターになるもよし。普通はそこまでは難しいであろうから、であれば、意識的に鹿肉を食べたり、鹿革に漆で模様付けした印伝(いんでん)を使ったりするなどして、鹿活用の機運を作っていこうではないか。
ありがたいことに、この時代、ネットで調べれば、ジビエ(野生鳥獣肉)を提供している店は幾つも見つかる。このところ、筆者はあちこち食べ歩いているが、刺し身もタタキも絶品であった。生粋の「自然育ち」だけあって低カロリーで高タンパク、鉄分も豊富で健康志向の方には特にお勧めだ。
*夕刊フジ 【国防女子の構え】より

③放置出来ない尖閣諸島の現状 中国船の領海侵犯が常態化

最後に沖縄県・尖閣諸島の周辺海域での漁業活動を行ってから、この8月で丸1年になる。2010年9月の中国漁船衝突事件以降、政府が中国との摩擦を恐れて弱腰なので、ならば「国民自身が実効支配を体現するしかない」と、私たち「頑張れ日本!全国行動委員会」(幹事長・水島総氏)は、石垣島の漁師らとともに何度も漁業活動を行ってきた。
私も15回にわたって尖閣海域を訪れたが、当初は島すれすれまで肉薄できたものが、12年9月の国有化以降、「1カイリ(1852㍍)制限」が出されて、近づこうとすると海上保安庁に阻まれるようになった。そして、ついに昨年、出港さえ認められなくなってしまった。
国としては、厄介払いできたと胸をなで下ろしているのだろうが、それで尖閣の実態はどうなのか。
自国の漁船を締め出しておきながら、月に3度のペースで中国公船による領海侵犯は続いている。もはや、それも完全に常態化し、ニュースにすらほとんどならない。
《尖閣周辺の領海外側にある接続水域で23日、中国海警局の船3隻が航行しているのを、海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは21日連続》
政府は「平穏かつ安定的な維持管理」を名目に日本人が近づくことを認めていないが、日本人が近づかないことは本当に尖閣の「平穏かつ安定的な維持」につながっているのだろうか。
ここで皆さんに、ぜひ知っていただきたいことがある。尖閣の自然環境問題だ。
民間政治団体が1978年、実効支配の証とすべく魚釣島に灯台を建てた。その保守管理のために島を訪れる際の食糧として持ち込まれた1対のヤギが野生化、大繁殖して、今では数百匹に上っている。僅か3.8平方㌔㍍しかない島は、ヤギの増 殖とともに下草が失われ、10代から同海域で漁をしている漁師いわく、「どんどんハゲてきてるよ」という状況だ。
このまま放置すれば、「実効支配者はヤギ」、なんて冗談みたいなことになりかねない。
絶海の孤島である尖閣諸島は、「センカクモグラ」「センカクサワガニ」「センカクツツジ」など、固有種の宝庫だ。下草が失われるにつれて、それらが絶滅の危機にひんしている。
また、漂着ゴミも大量に堆積している。漂着ゴミは単なる景観の問題だと過小評価されがちだが、分解したゴミは生き物たちの体内に入り、直接間接的に命を脅かす。このようにして、生物多様性が失われていくのを食い止めるには、一日も早い対応が急務だ。
今この瞬間にも、美しく貴重な尖閣の自然は刻々と失われつつある。言うまでもなく、固有種が絶滅すれば、二度と取り戻すことはできない。美辞麗句を唱えているだけでは島を守れないことを、ゆめゆめ忘れてはならない。
*夕刊フジ 【国防女子の構え】より

②国民意識変えさせた自衛隊の献身性

2月の初連載の際、予備自衛官補としての訓練を受け、「日本国の一員だと実感できる教育を初めて受けたと感じた」と紹介した。予備自衛官補としての50日間の訓練を経て予備自衛官になると、今度は元自衛官の予備自衛官とともに年5日の訓練を受けるようになる。
2005年春、初めて参加した予備自衛官訓練では、目を疑うような光景が多々繰り広げられていた。
作業帽を阿弥陀に(後下がりで)かぶる、胸元をはだけるなど、予備自衛官補時代には「決してやってはいけない」と厳しく注意されていた「不十分な着こなし」が見られた。時間に遅れて列に加わったり、学科が始まった途端にいびきをかいて眠り出したりするかと思えば、体育科目になると「健康診断でドクターストップがかかったので」と列外に出る古参の予備自衛官が続出する始末だ。
これで本当に、イザというときに国のために役立てるのかと心底心配になった。
当然ながら、訓練所見では思うところを率直に述べさせてもらったが、一方で、こうも感じた。
「やる気のない予備自衛官」を批判するのは簡単だ。だが、かつて、自衛官といえば「税金泥棒」、自衛官の息子といえば「殺人者の息子」呼ばわりされていた時代があった。そんな時代にあっては、「自衛官であることに誇りを持て」という方が酷な話だろう。誇りの持てない自衛官を量産してしまった背景に、国民意識の反映があったことはまず間違いない。
つまり、自衛官が誇りを持てるような世の中をつくることが、国民の側にも求められているのではないか。
こうした観点から見ると、現在はどうだろう。東日本大震災(11年)や、伊豆大島の土砂災害(13年)、御嶽山の噴火(14年)など、災害時における献身的な活動を目の当たりにして、国民の自衛隊に対するまなざしは、概して感謝と尊敬の念に満ちたものに変化してきたように思う。
東日本大震災の発災1週間後、取材に入った宮城県亘理郡山元町で、避難所に暮らす住民の方が「あの緑色を見るだけで安心する」と語っていたのが忘れられない。そうした国民意識に比例するかのように、私を仰天させた前述のような予備自衛官も、今ではほとんど見られなくなった。
しかし、つい先日、海上自衛隊の若き実習幹部が練習艦隊で日本一周したとき、沖縄県・那覇新港で200人規模の「自衛隊帰れデモ」に遭遇したと聞いて驚いた。
いまだに、そちらの方々はかくも健在なのだ。彼らは自らが被災、もしくは、有事の際に命の危機にさらされたら、一体どんな反応をするのだろう。「国民皆が健全な国防意識を持った国」となるには、日本はまだまだ道半ばのようである。
*夕刊フジ 【国防女子の構え】より

①「切れ目のない安保法制」うたいながら触れない「日本人拉致問題」

安全保障関連法案をめぐる論点の1つに、「自衛官の危険が増すのではないか」というものがあるが、国会審議を聞いていても、虚しさを禁じ得ない。というのも、自衛官というのは、そもそも危険な職業なのだ。だからこそ、任官時に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」と宣誓している。
国家・国民の危機に際しては、一般国民が助けを待っている場所にリスクを承知で自ら入っていく。そうした覚悟と誇りをもった自衛官にとって、むしろ虚しいのは、どんなに厳しい訓練を積んでも、必要な場面で日々練磨してきた力を発揮することが許されず、守るべき存在が傷ついていくのを指をくわえて眺めているしかない場合であろう。
これまで自衛隊が海外に駐屯している際、他国軍に助けてもらうことはあっても、他国軍や民間人を助けることはできなかった。他国から見れば失笑もので、自衛官にとっては恥ずかしくも情けなく、誇りを傷つけられる要因であったろうことは想像に難くない。今回の安保法制によって、こうした駆けつけ警護が認められるようになることは歓迎したい。
しかし、「本来守るべき存在が傷ついて苦しんでいるのをただ眺めているだけ」というケースは、もっと身近なところにもあるのではないか。「切れ目のない安保体制」をうたいながら、この件について与党も野党もまったく触れないのはどういうことなのかと思わざるを得ないのが、北朝鮮による日本人拉致問題である。
在外邦人の保護に関しては、当該国の同意が前提となっている。自衛隊による拉致被害者救出に北朝鮮が同意するはずもなく、議論の俎上にすら乗っていない。「いざとなったら米国に頼むしかない」という、かつての首相発言は、微動だにしないのだ。
一日千秋の思いで帰国を待ちわびている拉致被害者家族のみなさんにとって、この審議の空虚さはいかばかりであろう。
改正10法案を一括した「平和安全法制整備法案」と、新法「国際平和支援法案」の中には、「最優先で取り組む」べきはずの拉致被害者救出に資するものはない。私はそこに、「米国が望まないことは進まない」戦後体制の闇の深さを感じざるを得ないのである。
*夕刊フジ 【国防女子の構え】より

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