自然との共存ツアー in伊東
かえる博士(休場聖美 やすみばきよみ)
待ちに待ったこの日がやってきました。もう11月だというのに快晴の夏日となり、体感的にはまるで初夏のような爽やかさでした。集合場所の浜辺に着くと既に煙があがっており、そこは、砂浜ではなく辺り一面大小丸い石ころばかりで、寄せては返す波の音の中に石が転がるごろごろごろごろ・・・と、何とも奇妙な音がこのイベントのBGMとなりました。
さて、まずは起こした火を維持するための流木集め。竹が一番燃えやすいとのことで、浜には打ち上げられた流木があちこちに散乱しているものの、あいにく前日の雨で湿っており、完全に乾いて軽い竹は見つけ難かったです。それでも、少し火にかざして乾かせば薪として使用でき、起こした火の上に乗せたフライパンに海水を注いで、水が蒸発すれば塩の出来上がり!…と、そう簡単にはいかず、約2時間かけて2リットルもの海水を、丁寧に注ぎ足しては蒸発させを繰り返し…の作業を伊藤祐靖さんにお任せして、私は海釣りへ。
ほぼ初体験だったため、イソメに針を通すことも、餌を遠くに飛ばすことも、魚のアタリを感じて即座に糸を巻き取ることも、すべてがままならない状態でした。そのせいで、どうやら大物だった魚にも餌を持って行かれ、海底の石に糸が絡まる始末。再挑戦するものの、結果、重りと釣り針と糸を海に投棄し、今話題の海洋プラスチック問題とはこのことか!…と情けない気持ちでいっぱいでした。
気を取り直して、食堂の地魚でお腹を満たした後は日もすっかり落ち、お酒片手に宴会タイム。親方・高橋義智さんのお話しは大工であるがゆえに木のスペシャリストとして、また違った視点からとても勉強になりました。私も科学者であり生態学者の端くれではありますが、「利用方法」からそれぞれの木を見たことはありませんでした。例えば、水分含有量がスギよりはるかに少ないヒノキはとても燃えやすく、名の通りまさに「火の木」であること。さらに法隆寺にも用いられているヒノキは、耐久性に優れ、伐採時から200年間は強度が増し、その後1000年をかけて徐々に弱くなっていくそうです。ここで何よりも驚嘆することは、科学的に測定した訳ではない時代に、先人たちがそれを分かっていたということです。全身全霊で木を見つめ耳を傾けながら掌を当てて寄り添い、”共に生きてきた”ことの証ではないでしょうか。 我が子のように愛おしく、神様のように敬虔に。 我々科学者は、そんな自然への接し方を忘れてはいないかと、自省しました。 さらに、海と共に生き抜いてきた伊藤さんからは、輸血として海水を用いていたとのお話しに度肝を抜かされました。確かに科学的な数値としては、海水も血液もほぼ同じ塩分濃度ではありますが…と、頭では分かっていても、まさか実際に体内に取り入れて代替するとは考えもしなかったです。 やはり人間は大自然の一部なんだなぁ、と感じました。
自然を、(その特徴を生かして)自然のままに、人間が生きる為に使わせていただく=「自然と共存する」ことを改めて肌で感じて頭で考えた時間となりました。楽しかったです!ありがとうございました!これから釣りをするときは、せめて餌以外は自分で持って帰れるようにします…。