やおよろずの森

私たちは、日本人が古来受け継いできた自然と人間が調和する社会を広め、後世に残すため、様々な活動を行う民間団体です。

産経新聞 葛城奈海 直球&曲球(平成28年)


受け継いでいくべき「祭礼は神事」

  「今年は台風が多かったから作柄は今ひとつ。でも、こうやって表彰されてうれしい」。11月23日、茨城県の笠間稲荷神社で、新嘗祭を取材した。またの名を「献穀献(けんこくけん)繭(けん)祭(さい)」というこの祭では、丹精込めて作った米や繭を奉納し、表彰された農家が、日に焼けた顔をほころばせていた。
 現在「勤労感謝の日」とされているこの日は本来、1年の収穫を神様に供え、恵みに感謝する新嘗祭の日だ。新嘗祭の「嘗」とは、嘗める、つまり食べるの意で、宮中では、天皇陛下ご自身が、その年に穫れた米や粟のご飯、新米で造った酒、魚などを神々に供え、ともにお召し上がりになる。その後はじめてわれわれ国民も新穀を頂く、というのが本来の姿であった。 戦前まで、宮中での最も大切な儀式を国民がともに祝う大祭日だったが、昭和20年12月、いわゆる「神道司令」により祝日から除外された。国民の強い希望で「勤労感謝の日」として復活したものの、名称が変わって長い歳月が流れ、既に国民の多くは本来の意味を知らない。
 翌24日、明治神宮の参集殿で開催された「新嘗祭を祝う会」で、主催の一般社団法人農山漁村資源開発協会の頭山興助代表理事の言葉に衝撃を受けた。「公益社団法人にした場合、『新嘗祭』という言葉を使ってはいけない」と農林水産省に言われ、あえて一般社団法人のままでいるという。頭山氏の気骨に感銘を受けるとともに、日本人の力の源であった伝統文化を断絶させようとしたGHQ司令の徹底ぶりに、驚きを禁じえなかった。
 新嘗祭に限らず、今も全国各地に様々な祭が残ってはいる。が、果たしてどれほどの国民が、その意味を理解しているのか。祭りとは、そもそも神事で、神を祭るところからきている。かくいう私自身も、長年ただ「ワッショイ、ワッショイ」と神輿(みこし)が練り歩く賑わいを楽しんできたひとりだ。
笠間稲荷神社の塙東男宮司によれば、「ワッショイ」も「和一緒」が語源だというから面白い。それぞれの祭礼の意味を、まずはわれわれ自身が知り、家庭や教育の場で、子供達に受け継いでいくことが肝要であろう。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 12/ 8より

日本の伝統、鯨食文化を守れ

 鯨と聞いて、まず思い浮かぶのは、小学校の給食に出ていた大和煮だ。噛むほどに広がる甘じょっぱい旨みに、白いご飯が進んだ。そんな鯨肉も、いつしか日本人から縁遠くなり、今や「鯨食」と聞くだけで顔をしかめる若者も少なくない。縄文時代以来、貴重なタンパク源として肉や皮・内臓を食し、油・骨・ひげまで余すところなく活用してきた鯨。連綿と受け継がれてきた日本文化であったはずなのに、なぜか。
 『ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る~』を見た。平成22年、和歌山県太地町のイルカ漁を「残虐なもの」として描いた米映画『ザ・コーヴ』がアカデミー賞を受賞。日本の捕鯨に圧力をかけるきっかけとなり、平成26年、国際司法裁判所(ICJ)は日本の南極海調査捕鯨を認めないとする裁定を下した。「これで鯨肉が日本からそのうち完全に消え去るのでは」という危機感が、八木景子監督を突き動かした。
 「映像の借りは映像で返す!」と貯金を切り崩し、ひとり撮影を続けた八木監督。驚いたことに、『ザ・コーヴ』監督やシーシェパードのリーダーなど反捕鯨家のインタビューや太地町でキャンプする反捕鯨活動家たちの日常もしっかり映像に収めている。
 命を頂くことに感謝し、供養碑を建て、祭りを行ってきた日本。それを「スポーツ」だった英国のキツネ狩りと同列に扱い、やめさせようとする彼ら。「太地町を良くしようと思っている」という主張に「町のことは町民が決める。意見するなら、まず町民になってから」と毅然と返す町長の気骨に溜飲が下がった。
 一方、開いた口が塞がらないのが、費用対効果を理由に『ザ・コーヴ』に反証しない水産庁はじめ国の機関の弱腰ぶりだ。同じ国際捕鯨委員会(IWC)加盟国でありながらノルウェーやアイスランドは現在も商業捕鯨を行っている。「捕鯨問題は国際社会で起きている様々な日本の対応のあり方の縮図」と八木監督。サーバーをダウンさせられるなどの妨害にも怯むことなく国内外で上映を続ける彼女の覚悟と情熱の万分の一でも、国は抱けないものか。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 11/10より

「行き過ぎた自動化」は見直されるべきだ

 最近宿泊した、地方都市のホテルでのこと。洗面所で鏡に顔を近づけると、トイレの水が勝手に流れてしまう。不思議に思ってよく見たら、洗面台手前にある「流水ボタン」に腿が触れて反応している。以後、気を付けたつもりなのだが、予想を上回る感度の良さで、なんども失態を繰り返した。近視のため裸眼では鏡に接近しないと見えないという個人的事情はあるにせよ、これは設計を誤っていると思った。私のように意図せず水を流してしまう人が、相当いるに違いない。
 同様に、駅などのトイレで洗面台にうっかり物を落とし、拾おうとしたら自動的に水が出てきて、落とした物やら袖やらを濡らしてしまった経験のある人も多いだろう。この種の自動化が進み過ぎるのは、いかがなものか。
 日本人にとって、長く「水と安全はタダ」だった。が、地球規模での人口爆発を経て、世界では水を巡る戦争さえ起きると言われている。この夏もダムの水位が下がり節水が呼びかけられたが、水のありがたみを痛感するのは、やはり断水時だろう。蛇口を捻れば当たり前のように出ていた水が出なくなる。飲料水はもちろん、トイレや風呂の水が出なければ快適な暮らしは望めない。
 私は、しばしば山へ出かけるが、冬季に凍結防止のために水道管が外された山小屋や、夏場の縦走中に次の水場までの距離を考えながら水分調整をしていたのに、いざたどり着いてみたら水が枯れていたなどというときに、不衛生感や渇きとともに水のありがたさを痛感してきた。
 災害に備えるという意味でも、子供たちにもペットボトル1本の水で1日過ごすなどの体験をさせてみるとよいであろう。 大地を潤し、命を育み、浄化する水。かつてノーベル平和賞を受賞した環境活動家ワンガリ・マータイさんが感動し、日本語のままで世界に広めた「MOTTAINAI」精神を、大量生産・大量消費を豊かさと履き違えた日本人自身が忘れている。単に「水道代を無駄にするから」という損得勘定ではなく、「足るを知る」成熟社会を目指すという意味でも、「行き過ぎた自動化」は見直されるべきではないだろうか。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 10/13より

拉致問題 国を動かすのも最終的には国民

 北朝鮮が5回目の核実験をした今月9日の前日、都心のホテルで、政府と東京都の共催による「北朝鮮拉致問題の解決を願う都民の集い」が開催された。注目の小池百合子都知事も主催者あいさつに立つということで多数のメディアが詰め掛けた。会の後半に行われた北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」公開収録には、私も進行役として出演した。
 関係者あいさつで特に鮮烈だったのが、拉致被害者、増元るみ子さんの弟、増元照明さんが語気を強めて放った言葉だ。「人の命には限りがあるんです。それを忘れているんじゃないですか、政府は」 拉致事件が多発したのは昭和53年前後。以来、40年近い歳月が流れている。残る政府認定被害者12名に加え、警察が「拉致の可能性を排除できない失踪者」は800名超。被害者本人の加齢とともに、一日千秋の思いで待つ家族もくしの歯が欠けるように世を去っている。
 北朝鮮が拉致を認め、5名が帰国してから、はや14年。先月末、福井県敦賀市で開催された政府主催の拉致問題啓発映像上映会では、被害者の地村保志さん自身が、「帰国した14年前には、よく『地村さん』と声をかけられたが、そのようなこともほとんどなくなった。それだけ風化したのでは」と発言。司会の私もまったく予期しなかった発言に、地村さんの強い焦燥感を感じた。
14年と言えば、生まれたばかりの赤ん坊が中学3年生になるだけの歳月だ。結果として政府は、この間ただの一歩も事態を進展できなかった。その意味で、特定失踪者問題調査会の荒木和博代表が「都には国と連携はとってもらいたいが歩調は合わせないで」と言うのもうなずける。
産経新聞が8日の1面トップ(東京本社発行版)で報じたように、小池知事は、朝鮮学校調査報告書の都のホームページへの再掲載を指示した。さらなる果断な実行力に期待したい。
忘れてならないのは、国を動かすのも最終的には国民だということだ。被害者を取り戻せない現実に責任のない国民はいない。「人の命には限りがあるんです」。増元さんの言葉は他ならぬ私達自身にも突きつけられている。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 9/15より

守るは尖閣のみならず

 日の入り間近な凪の海に、読経の声が響いていた。戦時中、疎開船が爆撃され尖閣の海と島で亡くなった方々への慰霊が13日、洋上で行われた。声の主は、たびたび尖閣での漁業活動を行ってきた民間団体「頑張れ日本!全国行動委員会」の水島総幹事長だ。
 3年前まで、慰霊祭は尖閣諸島・魚釣島前で行われていた。2年前、漁師以外が漁船で尖閣海域に行くことを突如、水産庁が規制、出港さえできなくなった。よってこの日は、「遊漁船」として認められる、石垣島から20海里(約37㎞)が限界だった。尖閣は、はるか70海里先にある。
 ちなみに、漁師だけだとしても、「日本人の上陸」を警戒する海上保安庁が島の2海里以内で漁をすることを実力で阻止してくる。徹底的に日本人を遠ざける一方、中国船には口先で退去を呼びかけるだけで、ときに島ギリギリを遊弋することまで許してしまう、そんな倒錯した状況を何度も目にしてきた。だからこそ、日本政府が中国の増長を手助けしているようなものだと警告を発してきたつもりだ。
 それだけに、今般の中国公船および漁船数百隻の集結は、「それ見たことか」の印象を免れない。政府は一体何を考えているのか。大臣がいくら抗議したところで、口先だけではなんの威力もあるまい。
 インドネシアは、排他的経済水域での違法操業船さえ検挙し、拿捕した船を爆破している。はるかに優位な国力を持つはずのわが国が、領海内での違法操業を長年黙認してきたのだ。小笠原での200隻超のサンゴ密漁船団対処しかり。全てが、次の一歩を誘い込んでいる。
 こうしている今も、大繁殖したヤギや漂着ごみによって尖閣の自然は脅かされている。都庁へ寄せられたあの「14億円」で、環境問題への対処はできないのか。漁業を助ける通信施設や船だまりは。そもそも領海内での違法操業船は拿捕し、船長を刑に処し、船は爆破。それくらいしてはじめて「毅然とした態度」ではないのか。安倍晋三首相の公約「公務員常駐」は?
 「守るは尖閣のみならず、国の誇りと勲なり」。海上に流れた『尖閣防人の歌』の一節が、耳から離れない。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 8/18より

日本人にとっての麻

「せーの!」と息を合わせ、まっすぐ3㍍ほどに伸びた植物を、2人一組で束にして引き抜いていく。慌てふためく虫たちをめがけて、無数のトンボが飛び交っている。
栃木県鹿沼市に、野州(やしゅう)麻(あさ)栽培農家7代目の大森由久さんを訪ねた。僅か90日で成長し、7月の声を聞くとともに収穫を迎える麻。もともと日本に大麻という言葉はなく、「お」などと呼んでいたが、明治以降入ってきた丈の低い外来種と区別するため、在来の種を大麻と呼ぶようになったという。
麻栽培は、昭和20年、占領軍によって全面禁止されたが、関係者の尽力により、その後、免許制で一部の栽培が認められた。とはいえ需要の減少に伴って麻畑が消えていく中、大森さんの畑では、6名の研修生が額に汗してキビキビと動き回っていた。
麻と聞いても、衣類のイメージくらいしかなかった私だが、用途を聞いて驚いた。水に強く、しなやかなことから、布団、茅葺屋根材、凧糸、太鼓の皮を張る糸、鼻緒、綱、釣り糸、漁網、弓弦、蚊帳、畳の縦糸、漆喰壁、打ち上げ花火や線香花火の火薬にまで使われているという。
古くは、棺おけを墓穴に下ろすのに麻紐を用い、その紐は、出産を控えた女性に受け継がれて腹帯となり、へその緒は麻糸で切り、お七夜参りには麻を奉納した。
さらに核心的なのは、伊勢神宮のお札を「神宮大麻」と呼ぶことに象徴されるように、注連縄や祓いに用いる幣など神の依り代でもあったことだ。横綱白鵬の綱にも、大森さんらが奉納した野州麻が使われてい(GHQ)は日本を弱体化させるべく、「大麻=危険薬物」という短絡的な大義名分を掲げて、これを禁じたのではなかろうか。しかし、その後の日本の歩みは、経済効率優先で、この流れを自ら加速させたように見える。化学繊維で作られた注連縄に、果たして神は宿るのだろうか。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 7/21より

魚食の復興は日本の大事

  「足元にあるたくさんの恵みをほったらかして、より安くて好みに合った食べ物を輸入している今の日本を、みなさんはどうごらんになるのでしょうか。ホントにだらしない国になっちまいましたね」
元漁師で元水産庁、現ウエカツ水産代表の上田勝彦さんの言葉に、心をわしづかみにされた。豊かな海に囲まれながら魚離れが進む現状を「国家の大事」と憂い、魚食を復興させるべく、講演や講習、メディアなどで熱く語り、ハードルを下げた魚料理を実践してみせるが、何を何グラムというレシピは教えない。
なぜ臭くなるか、「焼く」「煮る」「揚げる」とは…と「しくみ」を教えるので、受講者は自分の頭で考える力を身につけられ、いくらでも応用が利くのだ。「手が生臭くなる」「生ゴミが臭う」と敬遠してしまう理由を挙げれば、即座にその解消方法も伝授する。一方「作る喜び」を失わせないため、ハードルを下げすぎはしないのもポイントだ。
冒頭の言葉が琴線に触れたのは、駆除したシカやイノシシをほとんど食肉利用していない実情や、汗水流してご先祖様が植え、伐採適期を迎えた木々を放置もしくは切り捨てている現状とも重なるからだ。足元にある海山の幸の価値を、我々はもう一度見直してみるべきではなかろうか。
農業然り。命の根幹である「食」を海外に依存しすぎるのは、安全保障面からも危うい。いざ輸入が断たれたらということもあるし、何ヶ月放置してもカビも生えない野菜や、ホルモン剤や成長促進剤を投与され、工業製品のように生産された畜産物の安全性を、私たちはどれほど把握した上で食しているだろう。安さと手軽さに釣られ、命を健やかに保つという何より大切なことをあまりに軽んじてはいないか。農家が潰れてしまってからでは遅いのだ。
上田さんは言う。「一次産業は国力だ。だったら、位置づけとしては公務員でしょ」。農林水産業の方々こそが、私たちの生命と暮らしを支え、実態として日本の海や国土を守っている。彼らが体を張って提供してくれるものの真価を見定められる、賢明な国民でありたいと切に思う。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 6/23より

古民家が語る戦後日本が失ったもの

 「何者か」の視線を強烈に感じた。重厚感たっぷりの黒い梁が薄闇に紛れる築180年の古民家で神棚のある部屋に入ったときのこと。「ここ、何か出ませんか? 座敷童とか」。そんな言葉が思わず口をついた。
圧迫感にも似た「何者かに見られている感」は、今は亡き祖父母宅の仏間でも覚えがある。柱時計が時を告げる部屋で遺影に見下ろされると、なんともいえない畏怖の念を感じたものだ。
屋敷の主は、古民家工房代表の髙橋義智さん。構造材に金属を使わない伝統的な工法で家を新築したり、古民家を再生したりしている。
過日、髙橋さんの建築現場で、梁というたくましい腕を広げ家の重みを一身に支え立つ大黒柱を目の当たりにしたら、柱への尊敬の念が湧き上がってきた。
「柱という字は、木の主と書きますよね。主って誰かと言えば、神様なんです」と髙橋さん。神様を「何柱」と数えるのもそういうことだったのだ。別の現場では、先祖が植えた木を自ら伐採し大黒柱にするという若い施主から「ご先祖様に見守られて暮らせる安心感があります」と聞き、心が動いた。なんて幸せで健全なご先祖との関係なんだろう。神様なのかご先祖様なのか、そもそも両者に境もないのだろうが、畏怖の念を覚える「何者か」に見守られながら生まれ、看取られ、生活を営んできたのが、古来日本の家屋、家族であったのにちがいない。
それはまた祖先との連帯感や、そこから来る責任感、道徳、力の源でもあり、ひいては日本という国の力の源泉でもあったはずだ。だからこそGHQは、個人の権利を尊重するかのような麗句で巧妙にカムフラージュしてこれを解体し、核家族化を進めた。大黒柱が消えるとともに、祖先との繋がりは薄れ、家長の存在感も色あせ、個人がそれぞれ浮遊する社会になってしまったのではないか。
たかが建築と侮るなかれ。そこに、戦後日本が失ったものと、取り戻すべきものが凝縮されていることを、「何者か」の視線は、熱っぽく語りかけてきたように思えた。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 5/26より

非常時に生かされる平時の「生き物力」

  熊本地震では、約4万人の方がいまなお不自由な避難生活を強いられている。続く余震に不安な日々を過ごされている方々には、心からお見舞いを申し上げたい。
被災地域外の国民が、募金や支援物資の送付、あるいは現場でのボランティアなど、それぞれの手法で少しでも被災者の力になれるよう努めるのは、当然ながら大切だ。と同時に、今後、別の場所で必ず発生する災害では自らも被災者となる可能性を踏まえ、備えについても真摯に再考したい。防災グッズの準備までは誰しも念頭にあるだろう。が、それ以前に、より根源的な、生物としてのたくましさを身につけておくことも重視すべきではなかろうか。
災害が大規模であるほど自衛隊・警察・消防・行政機関などによる「公助」が必要なのは言を俟たないが、各個人による「自助」やご近所による「共助」の力が強いほど、「公助」の負担は少なくて済む。しかし、高度に近代化し、近隣との有機的な繋がりが薄れた日本の社会、特に都会では、「自助」「共助」の力があまりにも弱まっていないか。
IT化が進み便利で快適な生活は、ひとたび電気が止まれば失われる。そうした危うさ、もろさと表裏一体で成り立っていることをわれわれはつい忘れがちだ。東日本大震災で被災した知人が「オール電化にしていたため、停電で何もできなくなった」と自省していた。インフラが途絶された環境で生き抜く力がなければ、公助の手が及ぶまで、ただ呆然と待つしかない。
マッチと木で火を起こせるか、電気炊飯器なしでご飯が炊けるか、家屋がなくても眠れるか、トイレがなくても用を足せるか……そういったタフさを身につけることは本来、学校で良い成績をとること以前に重要なはすだ。不便な環境はまた、互いに助け合うことの大切さを教えてくれる。
平時から免疫を作っておくことで、非常時に活かされる強靭性、今どきの言葉で言うレジリエンスを身につけること。震災を機にわれわれが見つめ直すべきことのひとつは、日頃から己が「生き物力」を高めておくことなのではあるまいか。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 4/28より

自衛隊による拉致被害者救出を議論せよ

   桜の季節を迎えた。しかし、何十年もの間、祖国の桜をめでることのかなわない同胞たちがいる。現憲法下で、拉致被害者救出に自衛隊を使うなどありえないと考える国民は多い。しかし、そうやって思考を停止する前に、考えてみてほしい。
クーデターなどで北朝鮮が騒乱状態に陥った場合、各国政府は自国民救出に動く。その時、日本はみすみすチャンスを逃すのだろうか。邦人救出には「当該国の同意」が必要とされるが、無政府状態になった場合はどうか。現に、フセイン政権崩壊後のイラクでは、国連の承認を得た代表部を「代行政府」と見なし、その同意を得て自衛隊は邦人10名の輸送を行っている。北朝鮮でも同様のケースに備えておくべきではないか。
折しも、今般の平和安全法制改定で、在外邦人等の保護措置が新設され、任務遂行型の武器使用も可能になった。救出へのハードルが下がったわけだが、いかに自衛隊が優秀でも情報や事前準備なしに任務遂行はありえない。法律上、自衛隊は外務大臣からの要請があって初めて救出にとりかかることができる。備えるとは具体的に、外務省が被害者の所在情報を収集し、その情報を元に自衛隊が救出に向けて訓練することだ。
5日、予備役ブルーリボンの会が開催したシンポジウムで、元陸自特殊作戦群長が世界各国の自国民救出の事例を紹介した。多くの国々が自国民とともに他国民も救出しており、日本人もそこに含まれていたのは意外だった。情けないことに、これまで日本は助けられる一方だったのだ。
同じ敗戦国ドイツは、1997年アルバニア暴動で、戦後初めてNATO(北大西洋条約機構)域外へ軍を単独派兵し、自国民とともに他国民も救出したことがきっかけで、軍事・安全保障でも独立した意思を持つ政治大国として国際社会に是認され、以後、国際政治の重要なプレーヤーになった。
「自衛隊も自国民保護という目的で世界の国々の人を救出する実績を重ね、北朝鮮での拉致被害者救出に備えるべきだ」。元群長の言葉が現実になったとき、日本は国家の尊厳を取り戻せるのではないか。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 3/31より

国産材活用で健全な森林づくりに貢献を

  秋田県能代市に秋田杉のお櫃を作る「樽冨かまた」を訪ねたときのこと。核家族化が進む現在、売れ筋は三合用のお櫃だという。値段を聞いた当初、正直なところ、「高い」と感じた。ところが、それから数時間、竹のタガをはめるなど作る工程を見、職人の話を聞いて、最終的には「なんて安いんだ」と見え方が百八十度変わってしまった。そこに込められている「使う人への思い」と技に感じ入るとともに、木製品に対する誤った思い込みを払拭されたのだ。
実際に使って、また驚いた。ご飯がこんなにおいしかったとは! ほんのり杉の香をまとったお米は、別物のように甘くなっていた。
その後、講演などで秋田に呼んでもらうごとに「お櫃を使っている人?」と聞いてみるのだが、地元でもほんの僅かしか手が挙がらない。まさに「灯台下暗し」である。
が、実はこれ、秋田に限った話ではなく、国土の約3分の2を森林が占める「森の国」であるはずの日本全体に言えることではなかろうか。
戦後植林された杉や檜が成熟し、今、日本の人工林は「伐り時」を迎えている。木材自由化で大量に輸入された安い外材に押され、国産材の需要は長く低迷した。林業人口も減り、間伐など必要な手入れがなされず、下草はなく、根っこがむき出しになった、もやしのような木々が林立する薄暗い森林があちこちに出現。土砂災害の一因となり、海の生物にも影響を与えた。今、健全な森林に戻していくためにも、熟した木々を収穫して、再び苗木を植え、森林を循環させるべき時に来ている。場所によっては天然林に戻すことも必要だろう。
いずれにしても、国産材を有効活用することが望まれるが、何より、私たち国民が、すぐそこにある地域産材、国産材の魅力に気付いていないのは、あまりにもったいない。平成26年の木材自給率は約3割。国も「公共建築物木材利用推進法」を制定するなど需要の拡大に努めているが、私たちも生活に国産材を取り入れ、山の恵みを感じながら、健全な森林づくりに貢献しようではないか。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 3/ 3より

日本の漁師が漁をできなくなった尖閣の海

 いったいこの国に、国土や国民を守る気はあるのだろうか? 先月15日、石垣島の海人たちが、尖閣へ漁に行った。片道170キロの東シナ海を遥々渡って行ったというのに、ただの一匹も魚は釣れなかった。なぜか。尖閣諸島の2マイル(約3700m)以内に近づこうとすると、「日本人の上陸」を警戒する海上保安庁の巡視船やボートに阻まれた。それもあまりに近付くから、漁具を下ろしても魚がかかるはずもない。揚げ句、「中国公船が接近」してきたため逃げるように指示され、空身で帰ってきたのだ。
平成22年の中国漁船衝突事件への政府の対応、特に命懸けで国の尊厳を守った海上保安官たちの崇高な行為を、事なかれ主義の国が踏み躙ったと感じた私は、政府がそんな弱腰なら国民が国家の意思を示すしかないと、同じ志を抱く仲間や石垣の漁師たちと、これまで15回、尖閣海域へ行った。当初は、上陸こそ禁じられていたものの島々に肉迫して漁ができた。
しかし、24年の国有化後、私達漁船が島の1マイル以内に近づこうとすると海保に阻まれるようになった。一方で、中国公船はその内側を遊弋しているのだ。なんという倒錯した光景であろう。一昨年からは、私達の出港さえ認められなくなった。そして、今回である。この対応はどういうことか。「日本の領海」なら、日本の漁師が漁をするのは当然で、それを脅かす外国船がいるなら、日本漁船を守って漁をさせるのが海保の務めではないのか。ところが、中国公船にはアリバイ作り程度に領海外への退去を呼びかけはするものの、実質的には事なかれ対応に終始し、日本漁船を追い払う。悲しいかな、事実上、中国の増長を手助けしているのが海保なのである。命令とはいえ、真に国を思う海上保安官ならやりきれないだろう。
「あそこは、もう日本じゃないよ」。船長が告げる実態を、政府は、国民は、どう受け止めるのか。「主権、領土、領海を守りぬくことは、自由民主党が国民から課せられた使命です」。前日の『尖閣諸島開拓の日式典』に寄せられた、安倍首相のメッセージがむなしい。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 2/ 4より

命をいただくということ

 年末、初めて鹿猟に同行した。激増した鹿の食害による森林被害を食い止めたいと、昨秋、狩猟免許を取得したが、銃猟に必要な許可をまだ得ていないため、今シーズンはまず見習いからというわけだ。
訪ねたのは、東京都の最高峰・雲取山の中腹にある三条の湯。山小屋の主人・木下浩一さんは、鹿によって周囲からさまざまな植物が姿を消していくことに危機感を抱き、約十年前に狩猟を始めた。
落ち葉を踏みながら、人ひとりがやっと通れるほどの道を山腹沿いに歩くこと約2時間、小さな尾根を越えたところで木下さんの背中がぴたりと止まった。左手前方の急斜面を見上げ、30~40m離れた笹薮に数頭を確認するや銃声が響く。走り去る2頭を見送った後、しばし様子を見守ったが変化がないため、そのまま先へと進んだ。
それから数時間、稜線上のポイントまで往復。思うようには獲物に恵まれず、半ば諦めかけていたその時、木下さんが何かにつまずきそうになった。足元を見ると、鹿の脚が2本。なんと、先刻撃った鹿が急斜面をずり落ちてきて、登山道を横切ったところで木の根元に引っかかって止まっていたのだ。毛並みの美しい雌鹿だった。暮れ行く山中で急遽、解体が始まった。
一連の作業で心と体に残ったのは、パックに入った肉片からは決して感じることのできない、「命を頂く」圧倒的な実感であった。日頃私達が口にしているものは、すべて、本来「命」であったはずだ。しかし、その意識があまりにも希薄化してはいないだろうか。また、その状態に整えられるまでにどれだけ人の手がかかっているかということも体験せずして思いをはせるのは難しい。同行者に高校生の娘を連れた家族がいた。女子高生がナイフを手に肉塊から筋繊維をひとつひとつ剥がしていく姿に、これぞ生きた教育だと感じ入った。
私達は、命をいただかずには生きていけない宿命を負った生き物だ。感謝していただくという根源的なことを忘れないためにも、鹿の食害で山が手遅れにならないためにも、狩猟への理解が進むことを願っている。
*産経新聞【直球&曲球】28/ 1/ 7より

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