やおよろずの森

私たちは、日本人が古来受け継いできた自然と人間が調和する社会を広め、後世に残すため、様々な活動を行う民間団体です。

活動報告 2011年

2011/11/04 西表島漂着ごみインタビュー

2011/07/04 小浜島聖地漂着ごみ清掃

2011/03/10 石垣で猟師と漁師が教えてくれたこと 葛城奈海(代表)

2011/03/10 緊急現地レポート石垣島・小浜島 漂流ごみ調査顛末記

西表島漂着ごみインタビュー

尖閣への出港に向けて潮待ちをしていた平成 23 年 10 月 27 日、西表島に渡り、長年八重山での漂着ごみの清掃活動をしている西表エコプロジェクト代表、森本孝房さんにお話を伺った。

石垣から高速フェリーで西へ約 40 分、西表島北部の上原港にほど近い中野海岸には、海亀も産卵するという白い砂浜が続いているが、そこにペットボトルを中心としたゴミが多数打ち上げられている。
この場所は、 4 か月前、夏の観光シーズンを迎えるにあたってビーチクリーンを行い、夏の間はきれいだったそうだ。
秋になって、風向きが変わり、北風に乗って、再びごみがやってきたのだという。
発泡スチロールなども見られたが、小浜島を清掃したときのような漁具のブイが見当たらないなと思ったら、風向きが変わってからまだ一月弱ということで、軽いものしか来ていないんだそうだ。
この後、徐々にブイなど重いものも運ばれてくるという。
お話を伺っていた最中にも、北風に乗ってペットボトルがひとつ、波間を漂いながらこちらに向かってきた。

流れ着く発泡スチロールは、そのほとんどが釣った魚を入れるためのものだという。魚の味がしみ込んでいるせいだろうか、夜に来てみると、海亀やヤドカリがこの発泡スチロールを食べているというから驚いた。暑さから分解も早いが、分解したものは魚の口にも入る。それが食物連鎖でイリオモテヤマネコや人間の体内にも入ると聞いて、単に景観の問題だけは片付けられない、漂着ごみが及ぼす害の深刻さを思い知った。

草を分け、木々の根元を覗いてみると、電球、シューズ、小さなブイなどさらに多くのごみが見えてくる。そのそばで、指の先程の愛らしいヤドカリたちがちょこちょこと動き回っていた。ゴミがさらに堆積すると植物の芽が育たなくなるんだそうだ。中野海岸では、南洋の植物である、肉厚で棘のある葉を持つアダンなどが天然の海岸林となっていたが、実際、辺りに幼木は見られなかった。

掌サイズの 2 種類の小さなブイを拾って、森本さんが質問してきた。

「こちらには、海藻や貝が付いていますが、こちらには付いていません。なんでだと思いますか?」

「……漂流していた時間の長さの違いでしょうか?」

「いいえ。こちらは、鉛など重金属を多く含んでいる、つまり有毒なので、生物が付かないんです。付いている方は、無害ということです」

「 !! 」

いやはや。有害無害を本能的に見極める野生生物たちの鋭い感性にも感服するが、それにしても、漂着ごみ恐るべし、である。森本さんには、ペットボトルのバーコードを見れば生産国がわかることや、ごみに紛れて転がっていたサキシマズオウの実が、実はウルトラマンの顔のモデルであることなどなど興味深い話をたくさん伺い、また 3 日後に、西表島南部の鹿川湾でビーチクリーン活動が行われるという情報を頂いた。

一連のお話のお陰で、漂着ごみを放置してはいけないという思いが強まったのは言うまでもない。ビーチクリーン活動が盛んに行われている西表島でもこの状態なのだ。ましてや、人が立ち入ることを禁じられている尖閣諸島や如何に…… !?

小浜島聖地漂着ごみ清掃

「くさーい。」

2月に調査をした小浜島の清掃は、聖なる場所にはおよそふさわしくない子ども達の第一声で幕を開 けた。東日本大震災を経て、清掃を実現できたのは、あれから4ヶ月が過ぎた6月中旬。まだ梅雨真っ盛りの東京とは対照的に、八重山には真夏を思わせる太陽 が、ぎらぎらと照り付けている。

石垣島から高速船で30分弱、かつてNHKの朝ドラ「ちゅらさん」で有名になった小浜島で「漂着ごみ清掃を」という私達の呼びかけに応えてくれたのは、遠くは秋田のNPO法人あきた海辺の自然学校会長さんから地元石垣の自衛官とその家族ら計10名。

前日入りした2名が地主の大盛さんとともにジャングルの草を刈って小道を作り、本隊到着に備えてくれたお陰で、最年少は小学1年生の男の子まで、ほんの5分ほど歩いただけで聖地の入り江にたどり着くことができた。

目の前にはエメラルドグリーンの海が広がり、ごみさえなければ南国の楽園のような場所なのだけれど、実際には、ペットボトルや大小様々な発泡スチロール、 漁業のブイで埋め尽くされている。重くて陸路の回収が困難と判断されたブイは今回は諦め、ペットボトルと発泡スチロールを集めることにした。

ペットボトルはとにかく数が多い。情け容赦ない日差しがじりじりと肌を焼き、拭っても拭っても汗が滴り落ちる中、参加者たちは黙々とそれを拾い集めてくれ た。キャップを開け、腐臭を発する液体を流し、ボトルとキャップに分けて回収袋へ。拾えば拾うほど、さらに深い場所、植物の根に絡めとられるように半ば埋 もれたボトルが目に入ってくる。拾おうとするのを阻むかのように、伸ばした腕を植物の棘が傷つける。

発泡スチロールは先遣隊が足場が確 保できる程度にまで回収してくれてはいたものの、体積が大きいため、あっという間にトン袋(役場が用意してくれた1トン入る回収袋)がいっぱいになってい く。大きいものは拾いやすい一方で、細かく砕けたものは集めるのに苦労し、うんざりしてくる。

作業の合間に大盛さんが、入り江の西側、 西表島を臨む浅瀬にある魚垣に案内してくれた。天然の石を垣根のように積み上げ、潮の満ち引きを利用して、干潮時に取り残された魚を捕まえられるようにす る囲いだ。真っ黒に日焼けした太い腕が指す方を見やると、ちょうど干潮だったため、珊瑚礁の海の上に緩やかな弧を描く魚垣を確認することができた。大盛さ んは、「あまり魚を捕るのは得意ではなかった」そうだけれど、そんな彼でも若いころはイカなどを捕まえて夕食のおかずにしていたという。単純と言えば単純 な仕組みだが、そんなこと考えてみたこともなかった私としては、「知恵だなあ」と痛く感動してしまった。岩場を移動していると、足元でわらわらと無数のフ ナムシが蠢く。当初は少々腰が 引け気味だった子ども達も、みるみるうちに動じなくなっていく。

フナムシには慣れても、肝心のご み拾いの方は、暑さも手伝って飽きるのが早い。ほどよい風があるので半日蔭ならまだよいものの、直射日光の下に出れば大人であっても、瞬く間に体力を消耗 していく。「なめるように」きれいにはなっていなかったため、個人的にはかなり後ろ髪をひかれたものの、「お腹すいた」の声も聞こえてきたので2時間ほど で作業を打ち切り、残りは次回に回すことに。回収したトン袋は、2日間で発泡スチロール8袋、ペットボトル2袋の計10袋になった。 昼食へと向かう途中、大盛さんの案内でフクギの茂るお宮に立ち寄った。「さっき清掃した場所の神様は、陸ではここ、中山のお宮に祀られてるさ」。島の中ほど にあるお宮では、こんもりと茂るフクギが陽射しを和らげ、静けさに包まれたスピリチュアルな空間に、柔らかな風が吹き抜けていた。

調査の際にも記したように、ビーチクリーンが盛んに行われているお陰で、石垣島も小浜島も人が簡単に入れる海岸はどこも美しい。その一方で、今回の入り江に象徴されるように、人がめったに足を踏み入れることのない場所は、聖地であってもごみが山積している。

私たち「やおよろずの森」は、こうした清掃活動を尖閣諸島にも繋げたいと思っている。日本の領土でありながら、日本人が近づくことを禁じられ、漂着ごみも 手付かずになっている尖閣諸島。尖閣にも八百万の神々おられ、魚釣島にはかつて先人たちが祀った小さな社もある。その神様は半ば草生しながら人の帰りを 待っているように思われてならない。大切な日本の一部であり、八百万の神住まう尖閣の島々を、私たち日本人の手で清めていきたい。

石垣で猟師と漁師が教えてくれたこと 葛城奈海(代表)

「今のは、何 !? 」

漂着ごみを探して石垣島東部の道を車で北上していた時のこと、不思議な光景が目に入った。男たちが集まって、豚の丸焼きのようなものを作っている、ように見えたのだ。あたりの穏やかな風景にそぐわない異様な空気感に、白い肌を曝していた豚らしきものが、はたして本物なのかマネキンなのか、はたまたそれ以外の何かなのか、頭の中が「?」でいっぱいになり、行き過ぎた車をバックさせてもらって、その場に突撃。

「何をなさっているんですか?」と聞くまでもなく、バーナーで毛を焼き、腹を裂いて臓物を出す様を見て、大体は察しがついた。猟師が撃ってきた猪を捌いていたのだ。

聞けば、猟期は 11 月 15 日から 2 月 15 日までの 3 ヶ月間。その間に 4 回ほど、猟友会のメンバー数十人が集まって一斉に山に入るという。増えすぎた猪は、 サトウキビ をはじめとする農作物を荒らす厄介者。この日のように犬で追って散弾銃で撃つか、罠(脚がかかるタイプのもの)を使って捕えるそうだ。

石垣島その3石垣島その4
白い前掛けをした太い腕の男性が、軽トラの荷台に板を敷き、見事な手つきで獲物を黙々と捌いていた。腹から取り出したばかりの臓物は、どれもぷりぷりとしていて、見るからに精気に溢れている。体内から出てきた弾を見せてもらうと、ひしゃげていた。猪を撃つには 1 つの弾丸に 9 発が入った散弾銃を使うそうだ。肉は販売せず、仲間内で分け合うという。

猪の他にも、コ ウライ キジ 、 インドクジャクといった 外来種 の鳥が、畑に蒔いたばかりの種を食べてしまったりして困っているとの話だった。

いろいろお話を伺って立ち去ろうとしたら、大鍋にぐつぐつと煮られていた猪鍋を八重山そば入りで振る舞って頂けることに。猪肉は意外なほどやわらかく、ボリュームもたっぷり。冷えた体にスープが優しく、身も心も温まった。なんでも雄よりも雌の方が柔らかいそうで、猟師さん達は「これは雄、これは雌」と、食べながら自分の舌と歯で識別している。

石垣島その1石垣島その2
こうやって 1 頭の姿から肉片になるまでを目の当たりにすれば、否が応でも「命」を頂くことを実感する。現代人には、この「命を頂く」感覚が圧倒的に欠如していると思うのは私だけだろうか。食前の「いただきます」は、本来であれば、料理を作ってくれた人や農家の方、漁師さんへの感謝以前に、命を与えてくれた食材たち、つまり生を絶ってくれた動物、魚介類、植物への感謝であるはずだが、そのことを実感覚として持っている人がどれだけいるだろうか。スーパーで売られている魚の切り身や肉片からだけで、それを実感するのは難しい。

「動物を殺すのは、かわいそう」「鯨を殺すなんて」と、近視眼的に動物愛護を唱えるのは簡単だ。しかし、他者の生を奪わずに自己の生を長らえることのできる人間は、誰一人としていない。そうした生き物としての冷厳な宿命と現実から目を逸らすことは、あまりに安易であり、不遜であり、そのような人間が増えた社会は不健全で危険なものだと私は思う。だからといって、無闇に命を奪っていいということでは、もちろんない。将来にわたって持続可能なバランスを保てるよう配慮しながら、感謝と畏敬の念を忘れずに命を頂いていることを心と体で感じる。そのためにも、時代錯誤と笑われるかもしれないが、成人するに当たっては山に入って猪の 1 頭くらい仕留めてくるぐらいした方が良いのではないか。半ば本気でそう思うのである。

その 2 日後の朝、肌寒い曇り空のもと、八重山漁協でのセリを見に行った。海が荒れてこの日はあまり漁果がないとの話だったが、ズラリと並んだマグロ(地元の言葉で、トンボマグロ、ダルマなど)、色鮮やかなブダイ、人間の赤ちゃんほどもあるコウイカが次々に競られていた。

石垣島その5石垣島その6石垣島その7
意外なことに、同じブダイでもモリで突いたものの方が値が高いそうだ。傷ついているため安くなるのではという素人考えとは裏腹に、突いた直後に血抜きがされているため鮮度が保たれておいしいとのこと。(網でとったものは、疲れ果てて死に、その後も体内に血があるので持ちが悪い)

セリ後に給水ならぬ給氷や給油をしている漁船を見つけ、漁師さんに話を聞いた。
「第6源丸」 19t 。3名で片道6時間かけて漁場に向かい、冷凍鰯を餌に鮪や鰹をとる延縄漁船だ。
「このあたりでシャチと総称する鯨やイルカは、せっかくかかった鮪を食べてしまうことがあり、漁師にとっては敵」と聞き、何かがすとんと腑に落ちた。そうか。山里における鹿や猪の存在だと同じなんだ。

乱獲などにより個体数が極端に減った場合に保護することはもちろん必要だと思うが、本来、人間も含めて天敵がいるのが自然の姿であろう。例えば、カモシカなどは絶滅危惧種として保護された結果、今では増えすぎて林業を脅かす存在になっている。そうやって状況が変われば、保護指定を外し、狩猟の対象とするなど柔軟な対処があって然るべきだろう。行き過ぎた保護は、かえって生物多様性を危うくするのだ。

なんて書くと、とんでもなく血の気の多い肉食系女だと思われそうだが、実際は草食系、いえ、強いて言うなら魚食系ですので誤解なきよう……。はい。

緊急現地レポート石垣島・小浜島 漂流ごみ調査顛末記

小浜島 ごみに埋もれた聖地

小浜島その1小浜島その2
「楽園ですねー」
エメラルドグリーンに輝くサンゴ礁の海と白い砂浜を前に、織田が苦笑しながらつぶやいた。

2月13日(日)、晴れ。石垣島北部の海岸を回り、漂流ごみの調査をした。メンバーは、今月初旬から石垣での長期滞在を始めた「やおよろずの森」理事の織田と、 my 日本を通じて呼びかけにこたえてくれた大和人さん( 26 歳)。半日かけて、 4 か所の海岸を梯子したが、人が簡単に入っていけるところは、時間も自分たちのミッションも忘れそうになるくらいに美しいビーチが静かに広がっていた。まことに結構な話だが、ごみを探しに来た私たちとしては、うれしいような、肩すかしをくったような……。

ごみの量は季節によってもだいぶ変わる(台風の後などは大量)そうだが、石垣あたりでは、いろいろな団体が清掃活動をしているようなので、人の目が行き届くところは、それだけ手も入っているのだろう。「日本人はそれだけ美意識が高いってことですよ」というのは海外を歩きまわってきた織田の言葉でもあり、私自身の実感でもあった。

とはいえ、最北端の平久保崎灯台から東へと延びる浜(平野海岸)は、しばらく歩き続けると様子が変わった。ペットボトルや薬の瓶、肥料袋、ノボリ旗、子供用のキャラクターが描かれたアルミの風船などが延々と打ち上げられている。それでも、かつて私が沖縄本島の西にある伊是名島近くの無人島で見た浜を埋め尽くすような漂流ごみに比べたら、まだまばらだった。

そこで、ふだんは小浜島でサトウキビ刈りをしている大和人さんの情報をもとに、翌日急遽小浜島に渡ることに。

一夜明けると、昨日のさわやかな好天はどこへやら、不穏な雲行きのもと雨がぱらつき出した。海も荒れ、離島ターミナルでは、いくつかの島に向かう便に欠航マークがついている。天気が悪いとテンションが下がる織田を見ると「ホントに行くんですか?」という顔をしていたが、気がつかなかったことにして、予定通り9時過ぎの八重山観光フェリーに乗船。

本来であれば、初めて船でその上を行くさんご礁の海を堪能したいところだったけれど、そんな思いは窓の外で時折激しく上がる波しぶきによって視界とともにかき消された。 25 分ほどで小浜港に到着。

雨風はさらに強まり、折り畳み傘は一瞬にして使用不能と判明。耳元でばたばたと鳴るフードを押さえながら歩き出す。大和人さんはきび刈りがあるので、この日は織田と私のふたりで「ごみが多い」と聞いていた場所に向かう。

小浜島その3 上空で気流が鳴るのを聞いたのは、 10 年ぶりくらいだったろうか。ああまたこの音と再会できたと思いながら 30 分ほど歩き、「そろそろこのあたり」と思しきところで車道を外れ、脇道に入った。土の道をしばらく歩いていたら、後ろからゴトゴトと近付いてきた軽トラのおじさんに声をかけられた。「どこから来たの? 目的は? マスコミの人?」。あきらかに警戒されている。

「民間団体で漂流ごみの調査をしています。日本の美しい自然や文化を後世に残そうという団体です」

「……それなら、協力する」
とガードを解き、車の荷台に乗せてくれたのは、このあたりで農業を営んでいるという地主さんだった。
荷台を降りてしばらくは車も通れる土の道、そこから先は獣道のような「ここを通るのは私と牛だけ」という亜熱帯のジャングルの小道を進む。森の中でいつしか風もなくなっていた。里芋の親戚のようなクワズ芋(その名の通り、食べられない)も多い。前を行く地主さんは、それを気まぐれに苦々しく引っこ抜いては、放り投げている。木の根元にある、ヤシガニの巣穴も見せてもらった。直径 20 ~ 30cm の大きな穴。捕って食べても、すぐまた次のが入る人気の物件らしい。

ほどなく、なんの前触れもなく原生林の中へ突入。藪こぎ大好きの私としては、俄然テンションが上がってくる。枝葉を掻き分け、木をくぐり、 10 分ほど歩いたろうか。

小浜島その4「これこれ」と、指された先に、突如として、ブイや発泡スチロールが大量に野ざらしになっている枯れ沢が現れた。後でわかったことだが、入り江に打ち寄せられた漂流ごみが、大潮の日に満潮になった際、森を分け入るようにして、浜から数十メートル奥まで運ばれてきたのだ。
徐々に量も種類も増えるごみに足を取られそうになりながら進んでいくと、小さな入り江が開けた。美しい入り江のはずだが、振り返るとひどいごみの山だ。足元に転がっていたブイを手に取ると「 MADE IN TIWAN 」の文字。
中国、韓国からと思しきペットボトルや、昨日も石垣で見た子供用のキャラクターが描かれた風船のようなものも発見。
日本製のものもあるにはあったが、 1 割にも満たなかった。(※)
「このあたりは島の人にとって神聖な場所。御嶽(ウタキ)や城(グスク)跡がところどころにあり、みだりに立ち入ることは許されていない。
そんな場所なのに、こんなに汚されてしまって……」と憤懣やるかたない様子の地主さん。
先人たちが大切に受け継いできた聖なる場所が、ごみだらけになってしまったのだから、お怒りはごもっともだ。

こうして風雨の中訪ねてきた小浜島で地主さんと出会えたのも、なにかのご縁だろう。神住まう「八百万の森」のひとつが冒涜されているのを目の当たりにし、地元の方と協力しながら私たちの手で、まずはこの場所を清らかな状態に戻していこうと、心に決めた。

※後日、織田が参加した 「第三回 海ゴミ・ サイエンスカフェ 石垣 」での発表によると、石垣島平野海岸のペットボトルの国籍別内訳(平成 20 年 2 月)は、以下の通り。
中国 49.2 % 台湾 23.1 % 香港 1.5 % 韓国 9.2 % マレーシア 1.5 % インドネシア 3.1 % シンガポール 1.5 % 不明 4.6 % 日本 6.2 %

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