やおよろずの森

私たちは、日本人が古来受け継いできた自然と人間が調和する社会を広め、後世に残すため、様々な活動を行う民間団体です。

写真:役員一同

役員紹介

やおよろずの森 活動理念

 山川草木にも 神が宿るとして これ自然を敬い 感謝しつつ 自然と調和した 社会を営んできた 私たち日本人。そんな誇るべき 自然観 文化 伝統 ひいては自然環境 また 国土そのものが 今 脅かされています。 私たち「やおよろずの森」は、天照大神が天の岩戸にお隠れになり、国の内が闇に閉ざされたとき、八百万の神々が天安河原に集い、知恵と力を出し合って光を取り戻したように、心ある日本人が集い、行動することによって、気高く、誇りある日本を取り戻す拠点になっていきたいと思います。

葛城奈海代表 葛城奈海
女優、キャスター。東京大学農学部卒業後、女優としてテレビドラマ、CFに出演。自然環境問題への取り組みをライフワークに、 自身も森づくり、米づくりの活動に参加。現場体験をもとに、執筆、講演等でメッセージを発している。 また、日本人が伝統的に受け継いできた大切なもの(例えば、自然との付き合い方や自然そのもの)を守ることから国の守りにも目覚め、 公募予備自衛官となる。 現在、日本文化チャンネル桜『海幸山幸の詩』『防人の道 NEXT』レギュラー出演中。北朝鮮向け短波放送しおかぜでアナウンスを担当。
予備役ブルーリボンの会広報部会長、「防人と歩む会」会長。
公式ホームページ http://www.katsuragi-nami.com 葛城奈海 Facebook

写真:カクテル
神が宿る日本の山川草木

「やおよろずの森」立ち上げに寄せて

森の奥や神社の境内などで、みなさんも、大きな岩や巨木にしめ縄が張られているのを見たことがあると思います。古来、日本では山川草木に神が宿るとして、これを敬い、また、衣食住すべての源となる恵みを与えてくれる場として感謝の念を奉げつつ、自然と調和した暮らしを続けてきました。

18 世紀には 100 万人を超える大都市だった江戸は、ロンドンやパリが汚物にまみれた臭い都会だったのとは対照的に、緑が溢れ、至るところに清らかな水が流れる美しい都会でした。幕末に訪れた外国人たちは、この様に目を見張り、賛辞を惜しまなかったといいます。
当時、都市の人の糞尿は下肥として近郊の田畑の肥料となり、そこでできた米や野菜は都市の人の食卓を潤すという具合に、エネルギーの循環が成り立っていました。また、壊れたものは可能な限り修理し、晴れ着なら何度も仕立て直しを繰り返し、最後は雑巾になるまで使ったように、今でいうリサイクル、リユースが徹底していました。
ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんが感銘を受けたとして今や世界的に注目されるようになった「もったいない」という価値観が、ごく当たり前のこととして根付いていたのです。

こうした世界に誇る美しい自然観や文化は、なぜ失われてしまったのでしょうか? 私には、2つの大きな転機があったように思えます。
ひとつめは、明治維新後の西洋近代化、そして、ふたつめが、戦後の高度経済成長。たくさん作って、たくさん買って、たくさん使う=いいこと、豊かさの象徴であるという価値観が蔓延するとともに、美しかった森や川や海は汚れ、そこに住む生き物たちが傷つき、公害が溢れ、人の心も体も蝕まれていったのではないでしょうか。
国を守るとは、単に国土や国民を守るだけでなく、その国の民が連綿と受け継いできた文化や価値観、自然観、ひいては自然そのもの、またちょっとカッコつけた言い方をすればアイデンティティを守ることでもあるのだと思います。

もうひとつ、この国が受け継いできた美しい思想に、初代天皇である神武天皇が「建国の詔」の中で掲げた「八紘一宇」という理念があると思います。
白状すれば私自身、軍国主義的な言葉としてかつては毛嫌いしていました。ですが、天の下にひとつの家のような国を造ろうという、この理想のように、もし私たち国民が同胞を家族のように想っていたのなら、例えば、拉致問題なども、これだけ長い間、未解決のまま放置されることはなかったでしょう。
「諸国民の公正と信義に信頼して」憲法 9 条を守っていれば平和な社会が続くと錯覚してきた戦後日本人。危険だったのは、「八紘一宇」の精神ではなく、「八紘一宇」の心を忘れ、大切なものを守るためには戦うことも辞さないという尊厳ある生き様、国の在り方を失うことだったのではないでしょうか。

副代表 伊藤祐靖

伊藤祐靖 【略歴】元海上自衛隊特別警備隊先任小隊長。 昭和 39年生まれ。日本体育大学卒業後、海上自衛隊入隊( 2 士)。 防大指導官、「たちかぜ」砲術長等を歴任。イージス艦「みょうこう」航海長時に遭遇した能登沖不審船事件を契機に、自衛隊初の特殊部隊である特別警備隊の創隊に関わり、創隊以降 7 年間先任小隊長を務める。 平成 19 年に中途退職( 2 佐)後、各国の警察、軍隊などで訓練指導を行う。 予備役ブルーリボンの会幹事長。在任中の経験や退官後の生き様が小説『奪還』(麻生幾・著)主人公のモデルとなった。

“自然との共存”
五年前に海上自衛隊を退職し、射撃・潜水の技量を維持するために、撃てて潜れて平和ボケしない情勢不安定な所を求めてフィリピンのミンダナオ島に住むことにした。
本拠地を日本に戻した現在も、拠点はまだ残してある。海洋民族の技術を自分なりに軍事技術に応用し、日本でそれを必要とする人達に伝えようと海洋民族と生活を共にしていた。彼らにとって海とは、生活のすべてである。
村の人々は、朝起きると誰の孫か子供か気にせずに目に付いた赤ん坊を抱き、海の中を散歩しながら潮流を考えて洗顔、排便等を済ませる。それから朝食用の魚を突き、海草を採り、貝を拾う。海岸のココナッツから水をとり、ミルクを採り、炭を作る。そうやってすべてを海から手に入れ、また海へ戻していく。
晴天時の自然は、彼らにすべての恵みを与えるが、荒天時の自然は、容赦なく誰の生命でも奪う。私は、神の存在を信じてはいない。しかし、民族を超え、宗教を超え、自然には神が宿っていると信じ、その恵みと苦しみを分かち合おうと自然と会話をし、自分を自然の一部として共存を目差す姿勢には、敬意を覚え、美しさを感じる。
日本には、日本の風土に合致した「人と自然が共存する」文化が存在する。日本に生を受けた者として、その文化を復活させ、残していく活動に、我が微力を尽くすこととした。

松村譲裕

松村譲裕 【略歴】早稲田大学卒。 戦前から日本橋で銭湯と天麩羅屋を営む家の三代目。 25歳の時実家に戻り秋田の店舗経営の為秋田生活となる。そこで地域活動や街づくり活動に参加している中で日本のおかしなシステムに疑問を感じるようになる。 平成16年横田ご夫妻の秋田講演を機に拉致被害者救出活動に参加、平成18年より救う会秋田代表を務める。拉致問題は日本の安全保障と歴史認識と共に置きざれにされているとの思いから諸先輩と共に「頑張れ日本!全国行動員会」に参加。秋田支部幹事長を務める。 現在は東京と秋田で「企業経営を通じての国づくり」を企業理念とし経営に取り組んでいる。

“私と自然”
幼年期は神奈川県の三浦半島で過ごし、十二歳時に横浜へ転居。東京の大学に通い、社会人は大阪スタートし、二十五歳から秋田生活。特段自然に対して特別な感情は持っていなかったが、強いて”自然”との関わりを考えると、幼年時代の遊び場は近所の山や小川や段々田んぼで、休みの日には兄弟(五人兄弟)で探検隊を結成し、山や田んぼをパトロールし、親からは山にも庭にもお膳にもトイレにも神様はいると教えられ、鎌倉の小学校では海と三方山に囲まれた鎌倉幕府の歴史を時間を掛けて勉強した。 大学卒業後の大阪時代は奈良・京都のお寺やお庭巡りをし、その後も旅好きが嵩じ日本全国全県を泊り歩いた。秋田に来て最初に感動したのが、朝焼けした壮大な山々に囲まれた一面に広がる田んぼの景色。 昨年、初めて伊勢神宮に参拝し、最初の橋を渡っている時に下界から違う世界に渡っているような不思議な感覚を感じた。秋田県の観光推進に携わるようになり観光資源である“自然”の意味を改めて考えてみると、日本各地のお国自慢で語られる自然の景色は手つかずの自然そのものだけなく、田園風景や村落、山々なども人の手の入った景色が調和している場合が多いことに気が付いた。 私自身の故郷のイメージもそうだ。我々日本の祖先は本当に自然との調和の中で過ごして来たのだと思う。
今、日本は様々な課題に直面しているが、多くはこう言った過去からの縦糸を寸断してしまっていることにあると思う。しかし恐らくこのような時代は過去にも何度も有った筈でそれを乗り越えて来たからこそ今の日本がある。「祖国の尊厳を後世に残す」ことがいつの時代もその時代を生きる者の使命だと思う。

高橋義智

高橋義智 【略歴】 1969年生まれ。 1987年、商業高校卒業後宮大工目指すが断念、同年地元ゼネコンに就職。1988年退社し、現場職、営業職就くも宮大工になる事を諦め切れずに1991年より大工職に従事。 2003年有限会社古民家工房設立。

“ 大工という職業で見えてきた日本 ”
修行時代には、親方はもとより古い木造建築からも多くの事を学んだ。複雑に組まれた桝組、梁組を観察しながら、先人達は自然とどう向き合い、どう寄り 添ってきたのか、美しい軒のラインに秘められた意匠とは何か…そんな事を考えた。 「大工と雀は軒で鳴く(泣く)」とはよく言ったもの。先人の美意識や想い、生活の知恵が見えてきた。
戦前の日本では、何世代もが一つ 屋根の下暮らす大家族が当たり前だった。人々は古民家に生まれ、節句を祝い、成人式、結婚式を行い、そして最後は家族に看取られながら土(自然)に帰っ た。神儀を行う晴の場でもあり、生活をする穢れの場でもあった古民家とは、技術的、叡智的なモノの他に日本人の魂が詰まったタイムカプセル/生き証人だ と言えるだろう。
温故知新を無きものとし、過去を否定し、遠くを見つめ、株価ばかりを気にしている現代日本。…どう頑張っても土や森 (自然)から離れたら人は生きていけないのに、見ないふりを決め込んで避けている。 しかし本当は、 全ての人々は土に生まれ、土に生かされ、土に帰る。これまでも、そして、これからも…。
現代に生きる我々日本人にとって建築だけにと どまらない問題。…それは農林水産業、はては織物、刃物、金型の工業生産等、全ての産業を支える職そのものの衰退。 このままネジ一本作る事までも放棄して販売利益だけを求め続ければ、作り方も忘れ去り、輸入に頼るジリ貧国に成り下がる。それでは先人に申し訳が立たない。
先人達が己の命と引き換えにしてまで護ろうとしたのは、 愛する人は勿論だが、八百万の神の棲む日本の精神と文化、そして、 命の儚さと潔さを桜に映し大切に想う美意識… つまり、「日本的価値観」であろう。それがあってこそ、技術と知恵が生まれ、悠久の時の積み重ねが「伝統」と呼ばれる金の価値のつけようのない財産とな る。その財産を感謝して受け継ぎ、護り、そして次の世代に伝えることもまた、我々の責務、国の守りの一つなのではあるまいか。

その他の役員

織田 正義(理事)
1971年京都府生まれ。 救急救命士兼准看護師。 2009年春に仕事を辞めて地球を一回り、ケニアで医療従事ボランティアなどに従事。 山海空をこよなく愛する自然派体育会系医療従事者。いずれは猟師か農家に転職予定。

荒谷 卓(顧問)
陸上自衛隊特殊作戦群初代群長・「予備役ブルーリボンの会」幹事

水島 総(顧問)
「頑張れ日本!全国行動委員会」幹事長

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